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お風呂で〇〇

子供の頃。いろいろあって、母はヒステリックになることがあり、近寄りがたいことが多かった。

兄、私、そして6歳離れて小1の夏に妹が生まれた。
妹は生後5か月でアトピーがわかり、ぜんそくも併発。(ぜんそくは小学校高学年くらいにおさまった)
山猿のような健康体の私とは対照的に色も白く、顔だちもかわいらしく、
何よりちょっと風邪をひくと「ぜーぜー」となるので、
元々少なかった(と思われた)母の愛情は、すべて妹にもっていかれたような気がしていた。
(後でそれは勘違いで、妹は妹でかなり母の私への愛情との差を感じていたらしい。
姉妹それぞれ「私は母にそれほど愛されていない」と思っていたのだから、親とは不憫なものでもある)

そんな時、母の愛を確認できたのが、食べ物であった。
幼い時は好き嫌いが激しく、食が細かった私に、母は父とは違うおかずを毎晩作ってくれた。
父に「一緒の物を食べさせなさい。甘やかして」と叱られても。
そして、遠足の弁当は格別だった。
給食をほとんど食べない私が、大人の男性ほどの弁当を持っていくのだから、級友や先生たちをびっくりさせていた。ご飯が嫌いな私が唯一好きだった、卵巻おにぎり(薄焼き卵で巻いてあるおにぎり)、大好物のコロッケ、ローストチキン、卵焼き・・・と好きなおかずのオンパレード。
加えて「お友達や先生と食べなさい」と手作りクッキー。ハートやクローバーの形にしてある時もあった。

今思うと、本当に手がかかっている。同じことをやりなさいと言われたら、まず無理だろう。

GC(グリーンコープ)の活動で、「すごい弁当力」「もっと弁当力」

もっと弁当力!! 作って伸びる子どもたち

佐藤 剛史 / 五月書房

すごい弁当力!―子どもが変わる、家族が変わる、社会が変わる

佐藤 剛史 / 五月書房

という本の作者でもある佐藤さんの
講演を聞いたことがあるが、「親として、いかに食で子供に命の大切さを伝えることが大切か」を痛感させられたのだが、聞きながら母への感謝の気持ちでいっぱいになった。
「あぁ、私は母に愛されていたのだなぁ」と感じた。

母は一度も「好き嫌いを直しなさい」と言ったことがなかった。
無理強いしたこともなかった。(朝のごはんと味噌汁だけは「必ず食べていきなさい」と
用意されたけれども)

おかげで、中学時代から少しづつ食べられるものが増え、大学時代の1人暮らしをきっかけに(友人に
野菜好きがいていろいろ一緒に作ったら食べられるようになった)、好き嫌いがなくなった。





「お風呂で〇〇」

お風呂に入っていると、母が「カルピス飲むぅ?」とか
「みかん食べるぅ?」とか、「アイスキャンディ(母の手作り)たべるぅ?」とか時々サプライズがあったのだ。

かなりお行儀悪い!ことであろうけれど、湯船の中で食べるみかんやアイスキャンディ、
ごくごく飲むカルピス(母は普段はジュースなどは飲ませてくれなかったので、なおさら)の美味しかったこと!

そして、今は娘がへこんだとき、ぐずったときの特効薬として、この「お風呂で〇〇」を使うのだ。

「幼稚園に行きたくなぁあああい」の時も、お友達と喧嘩してしょんぼりしている時も。

ついこの前はチアリーディングの練習後(練習後、帰宅したらすぐに私のECCのレッスンが1時間入っているので、娘はその間待っている)、「足がだるいよぉぉぉ。今日の練習はきつかったよぉぉ」とぐずりだしたので、
「お風呂でポッキンチューするぅ?(マコチンとマコタン風に)」と聞くと、
とたんに、「する!」とぐずるのをやめた。

体を流して、髪の毛洗って、お風呂に入って・・・・ポッキンチュー!
私は足をもみもみしてあげながら、娘はチューーとおいしそうに食べる。
「これって、まっちょもしてくれてたんだよね(母のことを孫たちは「まっちょ」と呼んでいた)」
「そうだよー」
「私も絶対子供にしてあげようっと」

母が「お風呂で〇〇」をしてくれていた時、今は私が元気だったのかしょげていたのかは
まったく思い出せないのだけれど。
「はいっ」と渡してくれた母の顔と幸せな時間は今でも心に残っているのだ。
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by peartree22 | 2012-04-13 08:47 | 育児